幸せのかけら 母のこと(朝ドラのことから)
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NHK朝ドラ「カーネーション」。
見たり見なかったりで、やっぱり見ている。
あんな力強い女性がいてくれたことに、とても勇気づけられるし、
今の日本があるのだと、思う。

高校時代の友達が岸和田に住んでいて、だんじり祭りのとき
いつも呼んでくれて、泊りに行かせてもらったことも思い出す。
あの、泉州弁もとても懐かしい。
「しちゃろか?」「しちゃる」って言っていたな~。
だんじりの迫力に、圧倒された私はテレビ中継のだんじり祭りを
見せてもらっていた。
けったいな子だと思っていたかも、と今になって笑える。
よくぞ、友達もつきあってくれたことだ。

「カーネーション」でのミシンの映像を見るたびに、
私は、ミシンのふたを思い出す。私にとって、ミシン=ふた、なのだ。

それはこういうことなのです。

大阪から東京の小学校に転校する時、3枚あった画板のうち
2枚を小学校へ寄付してきた。
「画板なんて、一枚あれば十分だ」と父が得意げに言っていた。

転校先の小学校で、明日が全校写生大会という夜、
画板が1枚しか無いことで姉弟でもめた。
小3の弟が小6の口のたつ私に勝てるはずもなく、画板は私が確保。
さて、弟の画板はどうする? 
母が「これ、持って行き」と差し出したのは、なんとミシンのふただった。

当時の足踏みミシンのふたは、厚みは1㎝以上あり、
一枚の板でとても重たかった。
小学校まで20分かかる道を、その板を持ち、
小学校から再び近くの公園まで歩く。
たどり着いた時には、手はぐらぐらで、写生どころではなかったらしい。
写生した後は、小学校に帰り下校だったのが、
弟だけ公園から直接帰りなさい、と先生に言われ帰ってきた、と話していた。

なんともかわいそうな話だが、私はこの話を
友達含む10人以上に話している。
当時の足踏みミシン、そしてあのふたを知っている人は、
涙を流して笑いころげる。

と、まあこういう話なのだ。

コレを読んで、当時のミシンのふたの厚みを知らない方は、
何を言うてはるん? という話なので、ごめんなさい、です。

ぜひ、感想をいただけると嬉しいです。
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