幸せのかけら 2016年09月
1日が、あっという間に過ぎていきます。
大したことも出来ぬまま、1日が終わります。

毎週、練習出来ていた卓球も全く出来ずに1ヶ月が終わっていきます。

夫が失職してからというもの、人生が目まぐるしく変わってしまいました。
順風満帆に、日々を過ごせていたことを今更ながらに気づく愚かな私です。

持つべきものはお金でした。が、へそくりもなにもありません。
ぜ~んぶ使っておりましたから~。
どなたか、お金をくれませんか? 
余っているお金はありませんか?
「同情するなら金をくれ」 かつての人気ドラマ「家なき子」のセリフを思い出します。

いっときは、不安にかられたり、どど~んと落ち込んだりもしました。
が、今は、日々生きていられることに感謝して前を向いて行きていこうと思っています。

友達が、仕事を紹介してくれました。
ひとつは、紐通し。
ひとつは、筆耕執筆の補助。
助かりました! ありがとうございます。

そして、いま、また仕事にありつけました。
毎日、眠気と戦い頑張っています。
朝早くから、夜遅くまでのワークです。10月末までの仕事です。
土日もありません。遠方です。
私は9時から18時。ときに夕方19時。

60歳前に、いったい、どないなっとるんだ? 我が人生。
遊び呆けていたときには、予想もしなかったことが次々起こり、
この世に正義というものは、ないのか?! というようなことも起こり、
もっと、何か方法があったのではないか! と悔やむことも起こり。
この世に神さまはいないだろう、と思えるようなことも起こり・・・・・。
いろいろ、ミルフィーユのように不幸という現象が重なり、
神さまという存在があるとするなら、重ねるのがお好きであるということだけが
ちょっぴりわかりました。

幸せ現象も、不幸な出来事も重ねることがお好きのようです。

60歳には笑っていたい!
昔はたくさんの大きな夢と野望にもえていましたが、
今の夢は、ただこれだけ。
60歳には笑っていたい!

今も笑っております(人も私を見て笑います)が、
幸せというものが、いったいどういうものなのか、と考えたときに、
いま起こっていることをなんとか自分なりに考え工夫をし切り抜けようとすることができること
なんじゃないかな。
そこに、おもろさを見つけ、笑い飛ばせたら幸せですね。

隣の芝ははてしなく青く、私以外の皆が幸せに見えることがありますが、
この広い空の下、皆それそれに懸命にいきているのだ、と思えること。
皆、自分が与えられた人生を一生懸命生きているということ。
それがわかるために、今があるのではないか、と思います。

幸せのかけらをひろいあつめて、日々を過ごしていきたいと思います。
小さな幸せ、けっこう感じます。今まで完全に見過ごしていました。
もったいないこと、していました。
何も考えずに、なんでも買えていたこと。
飲み会、ランチ、誘われるままに出歩いていたこと。

今は、少し、ガマンです。
私と会いたい、と言ってくれる人がたくさんいます。
私と会いたいと言ってくれる人がたくさんいること = コレが私の財産なんだ、と思います。
スポンサーサイト